習い事の始まり

日本における伝統的文化が大きく花ひらいた江戸時代ですが、この頃から「習い事」という文化は庶民の間に根付いていたようです。
式亭三馬など江戸時代に活躍した戯曲を紐解いてみると、そこには生き生きと日常生活を送る江戸市民の姿が描かれているとともに習い事を行う年頃の娘たちの姿があります。

江戸時代には「寺子屋」など子供~青年までを対象とした民間の学習塾が数多く存在していました。
ただこの「寺子屋」という名称は主に関西地域で用いられたもののようで、江戸においては「手習い師匠」といった呼ばれ方をしていた記録があります。
寺子屋ということに限定していけば、入学をする年齢はだいたい6~9歳くらいまでで、特に入学式や卒業式のような儀式的なものもなく自由に出入りができていたということです。
授業は午前中で終わることがほとんどで、まじめに授業を受けていない子供や成績がよくなかった子供は居残りをさせられることもあったようです。
江戸時代にはこのように習い事に子供を通わせることが流行しており、寺子屋における学問の他三味線や琴といった楽器を習う施設もたくさんありました。

基礎的な教養を身につけるため

習い事は男の子だけ、女の子だけということもなく、生きていくために必要な読み書きそろばんを覚えるとともに、基礎的な教養を身につけるという目的のために行われました。
女の子では、自分自身の能力を高めていくことによりよりよい家に嫁ぐことができるようになるという実利も関係していたといいます。
先に挙げた式亭三馬の作品を見てみると、子供にかなりたくさんの習い事を強要する教育ママや、それをたしなめる旦那の姿などがコミカルに描かれており、現代にも共通する親心を鮮やかに描いています。
江戸時代の女の子たちにとって人気の習い事となっていたのは、茶道や生花、三味線といった芸事でした。

武家に生まれた女子としてのたしなみとしてほぼ義務的に習うことになっていたという側面もありましたが、他にも吉原で働く高級遊女たちもお座敷での礼儀作法や芸を覚えるために幼い頃からそうした習い事をしていたという記録があります。
教養としての他、趣味として行う習い事もありました。
ファッションや髪結といったもので、そうした技術を身につけることでのちに生業とするようなたくましい女性もいたといいます。
時代は変われど習い事にかける女性の情熱は現代も江戸時代もそれほど変わりがないということが伺えるような気がしますね。